目覚まし時計の音が部屋の静けさを破った。
太陽の光はカーテンに遮られている。
女がゆっくりと瞼を開けると、それまで聞こえなかった鳥の囀りが耳に広がった。
時計のアラーム音と鳥の鳴き声が混ざり、一種の音楽を奏でる。
心地好い音色に瞼が重くなった。
「おい、大丈夫か?」
が、その言葉と共に音楽は去っていった。
「ええ、ごめんなさい。大丈夫よ。」
身体をベッドから起こし、時計を見る。
針は8時を指していた。
「寝過ごしたわ。急がないと...ジャックは?」
「もう起きてるよ。君は少し疲れているようだから、無理はしないようにね。」
「分かってる。」
車で保育園に向かう中、後部座席では重い空気が漂っていた。
外を見つめる男の子の手には御守りが握られている。
「どうしたの?ジャック」
運転席からの心配そうな母親の声にジャックは答える。
「別に何でもないよ。」
「何でもないなんて...何かあったらすぐ言うのよ?」
「うん。」
保育園に着くと、ジャックは何も言わずそのまま中に入っていった。
「まったく、あの子ったら。」
帰り際に園長に挨拶を済ませ、車に乗るがドアが何かを挟み閉まらない。
よく見ると御守りが落ちている。
ジャックが持っていた御守りのようだ。
届けに行こうか迷い、結局ポケットにしまった。
夕飯の買い物にマーケットへと向かった。
ベジタリアンの夫の為に肉は極限除き、代わりに魚をカゴに放り込む。
夫のお陰でダイエットに成功したことを思い出し、女は微笑んだ。
レジにて順番を待っていると、ふと外に目がいった。
いつの間にか雨が降っている。
車を停めた所からだいぶ離れていることに溜め息が漏れた。
と同時に後ろから肩を掴まれ慌てて振り向くと、夫が立っていた。
「マーク!もう驚かさないでよ!」
「ごめんごめん。傘を持ってきたんだよ。」
車まで相合い傘で二人は歩いた。
「車だから傘なんて必要ないのに。しかも何で一本なの?」
「いつも君は遠い所に停めるからね。それに、相合い傘が夢だったんだ。」
「もう...貴方って人は。」
二人は見つめ合った。
唇が触れ合うのを雷が止める。
「ジャックを迎えに行こうか。」
「あっええ。そうね。」
保育園ではジャックが一人絵を描いていた。
他の園児達は迎えがとっくに来たようで室内にはジャックと先生の二人だけだ。
「何を描いているの?」
質問に答えず、黙々と絵を描く姿に不信感を覚えそっと後ろから覗き見る。
先生は絵を見て溜まらず悲鳴をあげた。
途端にジャックの手も止まった。
ゆっくりと振り向く顔はごく普通の男の子だが、何故か恐怖を覚えた。
チャイムが鳴ると、何事もなかったかのように止めた手を動かした。
「ドレイトンさん。実はお話ししたいことが...。」
「何です?」
「これを見てください。」
差し出された絵には一人の女性が描かれている。
「ジャックが描いたんですか?」
「ええ。とても子供が描くような絵では...」
と言いかけて先生は後退りした。
「どうかしました?」
「いっいえ、何でもありません。」
作り笑顔はひきつっていた。
夕飯を終えたジャックが静かに部屋へ戻るのを確認し、貰った絵を取り出す。
「マーク、これを見て欲しいの。」
「ん?この絵がどうかしたのかい?」
「そうじゃないのよ。先生がこれを見て驚いていたから...何か変かしら?」
「え?赤色が綺麗に塗ってある良い絵じゃないか。」
「赤色!?」
どこを見ても赤色はない。
「どこに赤色があるの?」
「えっ...あぁごめん。見間違えたみたいだ。」
赤色と間違えるような色はどこにもない。
少し不安になり、頭を抱える。
「それ、お母さんだよ。」
気配もなく後ろにいたジャックに驚きを隠せない。
「はぁ、ビックリしたわ。」
「ごめんなさい。」
「いいのよ。絵を描いてくれてありがとう。...ねぇ、一つ聞きたいんだけど、赤色を使った?」
ジャックは目だけを父親に動かした。
微笑みだけが静かに帰ってきた。
「ううん。使ってないよ。」
「そう...。」
「やっぱり僕の見間違いだよ。先生も間違えて驚いたんじゃないかい?」
「...ええ。」
「さぁ、この話はここまでにして。ジャックは部屋に戻ってなさい。」
無言で頷き、ジャックはドアを閉めた。
「でね、僕からも君に見せたい物があるんだ。」
「何かしら?」
マークは冷蔵庫から一つの箱を取り出し、テーブルに置いた。
「これってもしかして...」
「そう、ケーキだよ!」
「え?でも...何かの記念日だったかしら?」
カレンダーを見ると四月一日に赤丸が付いている。
マークは首を傾げた。
「気づかない?」
「ごめんなさい、分からないわ。」
「エイプリルフールだよ。」
その言葉にカレンダーの赤丸に納得がいったが一つ疑問が残った。
「でも、祝う必要あるの?」
「エイミー...」
彼女の手を取り顔を近づける。
二つの青い瞳が重なると、続けた。
「僕はどんな小さな行事でも君達と祝いたいんだよ。」
「マーク...。」
「エイプリルフールは明後日だ。ジャックには内緒だよ?」
「ええ。分かったわ。」
エイミーは自室に戻り、デスクから新しい原稿用紙を取り出した。
既に30枚は書き終えている。
毎日書くようにはしているが、全く進まない時が多く、それが原因で寝不足気味である。
そんな彼女にとって朝というものは辛く、苦しいものであった。
また、彼女の仕事のこともあって、夫婦の部屋は別々にしてあるが、一つだけ気がかりがある。
夫の部屋はいつも鍵がかかっており入れないことだ。
たまに鍵がかかっていない時があるが、入ろうとすると決まって夫か息子が止めに来る。
あの二人は何かを隠しているかもしれない。
と不安になるが、彼女はそれ以上は探らなかった。
「明日探ってみようかしら。」
原稿用紙に鉛筆を走らせながら、意地悪そうな笑いが漏れた。
翌日、今度は鳥の囀りだけが部屋に響いた。
時計を見るとアラームが止まっている。
針は9時を差し、焦りが頭の中を渦巻いた。
「ジャック!もう支度してる!?」
急いで着替えを済ませリビングに行くと、ソファでゆっくりとテレビを観る二人がいた。
「やぁ、どうしたんだい?」
「今日って何曜日?」
「土曜日だよ。」
力が急に抜け、彼女はソファに倒れた。
「大丈夫かい?」
「ええ。時計を見て焦ったわ。」
マークはエイミーの頭を撫でながら、リモコンをテーブルに置いた。
「仕事ばかりで疲れているんだよ。今日ぐらいはゆっくり過ごそう。」
「でも、締め切りが...」
「何とかなるよ。」
自信と気迫に満ちた言葉と表情に今日だけは甘えようと瞼を閉じた。
「お母さん。」
暗闇の中、ジャックの声が響いた。
何度も反響され、消えることがない。
「お母さん、気をつけて。」
声を出して返事をしようにも一切出てこない。
すると、目の前にジャックが現れた。
手には何かの紙を持っている。
「これは、ただの紙じゃないんだ。お母さん..
.お父さんの部屋を見て。」
そう言うと、手に持っている紙を掲げた。
描かれていたのは、血塗れの女性だった。
「嫌ぁぁああ!!」
突然の悲鳴に慌てて走り寄る二人。
マークは息が荒い彼女の背中を擦る。
「嫌な夢だったんだね?」
その優しさが初めて不快感に変わる。
夢など滅多に見なかったが、今までに見たのは良い夢ばかりで油断していたようだ。
「水飲む?」
「大丈夫よ。」
額からは汗が落ちた。
シャワーを浴びたい気分だ。
「お父さん、散歩に行かないの?」
「待ってくれ。今は...」
「私のことはいいわ。いってらっしゃい。」
そっと離れていく二人を見送り、タンスから着替えを取り出す。
そして、夢でのジャックの言葉を思い出した。
「じゃあ、少し行ってくるよー!」
「ええ!」
玄関の扉が閉まった。
ゆっくりと夫の部屋へと近づく。
床の軋む音が嫌な気持ちにさせる。
開かないと分かりつつもドアノブに手を伸ばした。
「僕の部屋に何か用かい?」
思わず悲鳴をあげる。
「あぁ、ごめん。財布を忘れちゃって。」
「そう...。ちょっと物音がしたものだから、泥棒でもいるのかと思って...。」
「心配性だなー。大丈夫だよ。」
「そうよね...。」
「うん。じゃあ、改めて行ってきます!」
マークは笑って敬礼をし、玄関から出ていった。
震える手を押さえ、彼女はまたドアノブに手を伸ばす。
回すと、鍵はかかっていなかった。
中は普通の部屋で安心感が漂った。
震えていた手もいつの間にか治っている。
窓はカーテンが閉められておらず、太陽の光が眩しい。
初めて入る夫の部屋に嬉しさが込み上げた。
デスクには家族写真が飾られている。
手に取ると赤ペンで「大好き」と書かれているのに気付く。
彼女の頬が緩んだ。
ベッドに目を向けると光が反射して何かが下で光っているのが見えた。
写真を戻し、その何かを拾う。
拾ったのは女性が身に付けるようなペンダントであった。
ベッドの下を覗くとドアのようなものが床に付いていた。
ベッドを動かそうと窓際に寄ると、ちょうど二人が帰ってくるのが見えた。
ペンダントをポケットに入れ、すぐさま部屋から出る。
「ただいまー!」
「お帰りなさい。」
「お母さん、僕の御守り知らない?ずっと無くて。」
「あぁ、そういえば、持ってるわ。ちょっと探してくるわね。」
昨日拾った御守りはポケットに入れたままだった。
そのまま洗濯してしまった為、少し濡れている。
「ごめんなさい。濡れちゃったわ。」
「大丈夫。ありがとう。」
「どういたしまして。」
ジャックは御守りを受け取ると、部屋に戻っていった。
ついでに洗濯物を整理しようと乾いた衣服を降ろす。
固いものが指に触れ確認すると、夫の服から指輪が出てきた。
自分達が付けているのとは別のものだ。
リビングで寛ぐ夫の姿に苛立ちを覚えながらも、彼女は耐えた。
少しでも苛立ちを抑えようと、夕飯作りに取り掛かるが収まらない。
包丁の扱いも雑になり、挙げ句には指を少し切ってしまった。
「痛っ!」
血と一緒に涙まで出てきた。
痛みではなく、不安が強すぎる。
「大丈夫!?すぐに消毒しないと...」
「自分で出来るわ!!」
彼女の怒鳴りが家に響いた。
少しの沈黙の後、マークは口を開いた。
「...ごめん。」
立ち去ろうとする彼をエイミーは止める。
「こちらこそ、ごめんなさい。やってくれる?」
「あぁ。」
絆創膏を貼り終え、二人は向かい合った。
エイミーはポケットからペンダントと指輪を取り出した。
「実はこれを見つけて...。」
それを見たマークは笑いだした。
「なっ何よ!何が可笑しいの!?」
「ごめんごめん。いや、それは誤解するなぁと思って。」
「誤解?」
「うん。それは君と出会う前の話だよ。ほら、この家は僕の家だし。」
「でも、ポケットに入ってたのよ?」
「売ろうと思ってたんだ。結局忘れちゃったみたいだけどね。」
「本当?」
「あぁ、本当だよ。」
「分かったわ。でも、一つだけ条件があるの。」
「何?」
「明日売ってきて。」
「分かった。」
二人は軽いキスをすると、夕飯作りを再開した。
「あっ、そうだ。一つだけ聞きたいんだけど。」
「何かしら?」
「僕の部屋に入った?」
言葉が頭の中でリピート再生され、床のドアが浮かぶ。
しかし、デスクの写真がそれを打ち消した。
「いえ、入ってないわ。」
「そっか。」
彼の顔が満面の笑みに戻る。
「ねぇ。」
「ん?」
冷や汗が首筋を伝った。
唾を呑み込み、彼女は重い口を開く。
「入っちゃいけないの?」
夫がゆっくりと近づいてくる。
ただ、顔を直視出来ない。
手が彼女の肩を掴んだ。
「別に構わないよ。」
意外な答えが返り、安心感が戻った。
「鍵がかかってなかったらね。」
と耳元で付け加えられ、思わず離れる。
「鍵がかかってたら、入れないわよ。」
「それもそうだね。」
静かな笑いが二人を包んだ。
そんな二人を物陰からこっそりと見ていたジャックは唇を噛み、父親を睨み付けた。
手には果物ナイフが握られている。
「あら?ジャック?そんな所にいないでこっちにおいで。」
母親に見つかるとそっとナイフを隠し、その場を離れた。
「どうかしたのかしら?」
不審な行動だが、昔からそんなことが多い。
保育園でも浮いていると先生からよく言われた。
「そういう年頃なんだろ。」
「そうね。」
マークの目は笑ってはいなかった。
その夜、夕飯を済ませたエイミーは悪夢の助言が当たったことを不思議に思い、例の絵を見ていた。
夢ではジャックが掲げた絵が血塗れの女性になっていた。
だが、目の前にあるこの絵は普通の女性である。
ジャックはこの女性を「お母さん」だと言っていた。
あの悪夢のこともあり、だんだんと絵が醜く見える。
「気味が悪いわ。」
絵をデスクに仕舞い、ベッドに凭れる。
明日はエイプリルフールだ。
日曜日だというのに朝はマークが仕事でいない。
だが、寂しさは一瞬で終わった。
「あの床のドアを調べるチャンスだわ!」
そう呟き、電気を消した。
翌日、時計のアラームが鳴る前に起きた彼女はすぐさま着替え、朝食を済ませた。
珍しい行動に夫は驚いた。
「どうしたんだい?」
「今日は貴方が楽しみにしていたエイプリルフールだもの!」
そんな騒がしい朝にジャックは目を擦りながらリビングにやってきた。
「あら、おはよう。」
「...おはよう。」
「おはよう。...じゃあ、僕は行ってくるよ。昼には帰ってくるから。」
「ええ。いってらっしゃい!」
夫を見送り終わると、彼の部屋へと急いだ。
ドアノブを回すが、今日に限って鍵がかかっている。
残念に肩を落とす母親の姿にジャックは声をかけた。
「もしかして、この鍵が必要?」
鍵束がジャラジャラと音を鳴らす。
「ジャック!さすがよ!」
無数にある鍵からやっとドアの鍵を見つけ開ける。
中はあの時見た部屋と変わりない。
「ベッドを動かすから、ちょっと手を貸してくれる?」
無言でジャックは頷いた。
ベッドも意外に重く、動かすのに手間取った。
「このくらいでいいわ。」
例のドアが見えた。
床に付いているということは地下室だろう。
開けようとするが、これまた鍵がかかっている。
相当見られたくないようだ。
何本も鍵を差し込み、5本目でようやくロックを解除した。
そして勢いよく開けると、異臭が部屋に広がった。
とても臭い。
吐きそうな臭いである。
「何よ!これ!」
鼻を摘まみながら中を見るが、真っ暗で何も見えない。
ジャックは懐中電灯を持ってきた。
「ありがとう。」
早速照すと、中からゴキブリやハエが一斉に飛び出した。
叫ばずにはいられない。
「お母さん...大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ...。」
気を取り直してまた照すと、階段が見えた。
少し赤色ぽいのは気のせいであろう。
「どうする?一緒に行く?」
ジャックは少し迷いながらも頷いた。
一歩一歩慎重に階段を降りていくと、異臭は強くなった。
一番下まで降りるともはや地獄である。
周りを照すと、そこは狭い空間であることが分かった。
前に進むと、何かを踏んだ。
すぐさま照らし、絶句する。
何かの肉片を踏んだのだ。
動物虐待か、もしくはベジタリアンだと言った彼が密かに肉を食べていたか。
後者なら問題はないのだが、前者となると犯罪である。
そんなことを考えていると、ジャックが肉片を蹴飛ばした。
「何やってるの!?」
表情は見えないが、笑っているかのような声が聞こえた。
「いや、邪魔くさいから。」
「止めなさい。分かった?」
「...はい。」
一番奥までやってくると、椅子が背を向けて置いてあった。
その周りをハエが飛んでいる。
恐る恐る近づき、何があるのかを確認しようと椅子に手をかけたその時。
地下室のドアが閉まる音がした。
そして、誰かが降りてくる。
「ジャック、隠れて。」
小声で彼女は指示を出し、灯りを消した。
「おい!誰かいるのか!?」
声の主はマークである。
本当のことを言って許して貰うかなど、色々なことが頭を過るが犯罪者であったらどうしようということが全てを消した。
必死に気配を殺し、耐える。
悪臭など気にもならない。
「...いないか...。」
ドアを開ける音と共に彼の気配は去っていった。
懐中電灯の灯りをつけ、ジャックを呼ぶ。
走り寄ってくる息子は何故か笑顔だ。
「もう、こんな時まで笑わないでよ...。」
愚痴を溢しながら、先ほど確認出来なかったものを確認しようと灯りを椅子に向けた。
気づかなかったが、その周りには血溜まりが出来ている。
前に出て椅子を見るが、そこには何もなかった。
安堵の溜め息が漏れる。
すると、上から血が垂れた。
顔を上げると目の前には生首が吊るされていた。
口を押さえ後ずさるが、何かに背中が当たった。
振り向くと、マークがハンマーを振り上げ立っていた。
鈍い音と共に彼女は倒れた。
「ジャック...よくやったぞ。」
マークはジャックの頭を撫でた。
彼女を椅子に縛り付け、包丁を取り出す。
「うぅ...。」
唸り声をあげ、意識を取り戻した彼女に包丁を翳した。
「これが何か分かるよな?」
悪魔のような笑い声が響き渡る。
「選ばせてやる。すぐ死ぬか、苦痛を与えられて死ぬか。さぁ、どっちがいい?」
ぼんやりとする頭で彼女は首を横に振った。
「そうか、苦痛か!分かった分かった!やってやるよ!!」
ジャックは離れた所で耳を塞いだ。
この空間に響く悲鳴を聞かないために。
どれほど経ったか、悲鳴も消え静けさが漂っていた。
「タフな奴だ。だが、久しぶりの肉なんでね。楽しませて貰うよ。」
「...久しぶり...って?」
「何人もここで死んだってことさ。女の肉は美味でね。俺は女しか殺さない。」
「...まさか...食べるの...?」
「もちろん。動物の肉ってのは不味くてね。それに関しちゃあ、ベジタリアンだろ?俺は嘘をつくのが嫌いなんだ。」
不適な笑みを浮かべ包丁を掲げた。
その笑みを彼女は意図も簡単に壊す。
「でも...エイプリルフールが好きなのね...可笑しな人。」
「何だと!?」
「...本当のことじゃない。」
高笑いが響く。
「面白い!面白い奴は好きだぜ!気に入った、殺さないでやるよ!!」
そう言い残し、地下室から出ていった。
「お母さん...。」
ジャックは椅子に近づき、声をかけた。
「...ジャック...。」
手には果物ナイフを持っている。
それを彼女の手に近づけた。
エイミーは目を瞑った。
だが、痛みは襲ってこず、自由が訪れた。
目を開けるとロープが切られている。
「...こんなことしたら、あなたまで...。」
「僕は大丈夫。強いから。」
力を振り絞り、階段を上がる。
ドアは幸運にも開いたままだ。
二人は抜け出し、玄関を目指した。
「おっと!どこに行こうっていうんだい?」
すぐ後ろではマークが立っている。
「...病院に行くのよ!...。」
「じゃあ、俺が連れてってやるよ!!」
包丁を振り上げ走ってくる。
その距離は縮まる一方だ。
彼女はつまづき転ぶ。
容赦なく包丁は降り下ろされた。
だが、当たったのは彼女の身体ではなかった。
小さな男の子の身体を貫いていたのだ。
「...ジャック...!!」
「何?お母さん。」
何事もないかのようにジャックは振り向く。
満面の笑みを浮かべて。
そして、果物ナイフを持ちマークに詰め寄る。
「来るな!!化け物!!」
「何言ってるの?お父さん。息子のジャックだよ。」
「来るなぁぁああ!!」
「僕のことが好きなんだね。僕もお父さんのことが大好きだよ。」
ジャックは壁際まで追い込んだ。
しかし、そこでマークの反撃を食らう。
何発も殴られ、蹴られた。
「考えてみれば、体格差が違いすぎるぜ!ほら!死ねよ!!餓鬼が!!!」
それでも、ジャックは笑顔を絶やさなかった。
「そんなに僕のことが好き?」
「大嫌いだよ!バーカ!!」
「え?大嫌い?困るなぁ。僕はそれでも大好きなんだから。」
ジャックにばかり気をとられた彼はエイミーから目を離していた。
それが彼の落ち度であった。
叫び声と共に彼女のタックルを食らい、頭を壁にぶつけた。
必死で意識を手放さないように首を振るが、視界はぼやけたままだ。
「今日はエイプリルフールでしょ?もうお父さんは嘘ついた?ついたよね?お母さんに殺さないでやるよ!!って。僕ももう嘘ついたんだ。もちろん、お父さんに。何か分かる?」
ナイフが振り上げられた。
「もう一度だけ言ってあげる。」
血渋きが何度も部屋中を飛び、マークは力尽きた。
笑顔のままジャックは口を開く。
「大好きだよ、お父さん。」
その後、警察と救急車が呼ばれ二人は治療を受けた。
マークによる連続殺人は地下室の生首と彼の衣服から見つかったペンダントと指輪が証拠になり幕を閉じた。
被害者は10人。
いずれも女性で、失踪していた女性達だと判明。
遺族は皆「あの男は死んで良かった」とニュースにてコメントを残した。
そして、生き残った二人は救世主として取り上げられた。
「どうして、気づいてあげられなかったんでしょうか。」
病室にてエイミーは嘆いた。
刑事は悔しそうに口を結んだ。
「結婚後もあいつは犯行に及んでいたんでしょう?もし、気づいていたら助かった方もいたかもしれない。」
「奥さん...自分を責めても何も変わりませんよ。」
「私は奥さんじゃないわ!!エイミーよ!!」
「...すみません、エイミーさん。」
彼女の頬を涙が伝う。
「エイミーさん、一つ気になることが...。」
「...何ですか?」
刑事は辺りを見回し、誰もいないことを確認した。
「あの子は何者なんです?」
意外な質問に彼女は驚きを隠せない。
「何者って...私の息子ですが?」
「いえ、そういうことではなくて。あの子はあんなに暴行され、包丁まで刺されても死ななかった。常人ならば倒れています。それに、子供ですよ?子供が平気なはずがない。しかも、病院に運ばれても笑顔を絶やさなかった。これは異常としか言えません。」
「つまり、何が言いたいんですか!?」
声を荒げる彼女に指を立て宥める。
周りを気にしながら、小声で答えた。
「あの子は生きていますか?」
あり得ない質問に彼女の怒りは頂点に達した。
「ふざけないで下さい!!言って良いことと悪いことがあります!!」
「すみません。ですが、本当にあの子の親ならば本気で考えて下さい。もしかしたら、あの子は人間ではないのかもしれませんよ。」
この会話を一人ドアの外で聞いている者がいた。
小さな歯を覗かせ、不適な笑みを浮かべている。
「僕は嘘は大嫌いだけど、お母さんを苛める奴は大好きなんだよ。刑事さん。」
そう言って小さな歩幅でどこかへと姿を消した。
大きなコール音が院内に響き、放送が流れる。
「ジャック・ドレイトン君が院内にいません。至急、院内にいる先生方は集まって下さい。繰り返します。」
放送を聞いた二人は顔を見合わせる。
「あの怪我でこんなことが出来ますか?あなたは出来ますか?」
彼女は俯いた。
「...出来ませんね...。」
溜め息が室内に漏れた。
「いいですか?私達はあの子を調べる為、研究所に調査を依頼しようと思っています。あなたの許可さえあれば、いつでもあの子を研究所に送ることは出来ます。あなた次第なんです。今回の件であの子は危険だと判断しました。このままあの子を犯罪者にしたくないなら、決断してください。離れることになってもあの子はあなたの子供のままでいられますよ。」
室内から出ようとする刑事をエイミーは止めた。
「刑事さん...。」
「何です?」
瞼を閉じると、ジャックが微笑んだ。
沢山の思い出が甦り消えていく。
力一杯に拳を握りしめた。
「あの子をお願いします。」
裸足がアスファルトを蹴る。
鼻唄は微風に吹き消された。
「坊や。どうしたんだい?裸足で。それに、お母さんは?」
男は小さな男の子に声をかけた。
「うーん、道に迷っちゃって。靴は車に置いてきちゃった。お母さんに会いたいよ。」
「分かった。おいで。お家まで送るよ。」
車のエンジンをかけ、ドアを開けた。
「ありがとう!!おじさん、大好き!!」
今日は四月一日のエイプリルフール。
小さな男の子は小さな嘘を付く。
END