雷雨’s blog

現実を書こう!

休止していた日々のこと

まず、車が大嫌いになった。
異動手段として誰かが運転する車に乗るのは抵抗ないわけではないが、仕方ない。
でも、自分は運転したくない。
ハッキリ言って、怖い。
死と隣り合わせという状況が堪えられない。
そして、私には運転という操作は合わなかった。
苦手だ。
何も見えない。
何も感じない。
何も聞こえない。
いつ事故を起こしてもおかしくはない。
だからこそ、乗りたくない。
私の思考は過去に遡った。
何故、人間は車を作った?
現に死人が出てる。
悲惨な事故がニュースで流れる。
遺族が悲しんで、加害者は大金払って、罪を償う。
車が無かったら幸せだったんじゃないだろうか。
確かに便利だとは思う。
けれど、不幸な出来事が起きてる時点で人間が扱える代物ではないと思う。
もっと大きなことを言えば原発だ。
便利だったが、危ない物だった。
今年の3.11。
7年という時間はあっという間だった。
再びあの日が訪れて、祈りを捧げて。
忘れないと誓って泣いた。
被災してない私には心の傷というものはなかったけれど、癒えない傷を抱えて生きている人を見て、切なくなった。
同情なんてあまりいいものではない。
けれど、自分に出来ることを頑張ろうと思った。
車の免許取得もその内の一つ。
正直に言えば、投げ出したかった。
いつか車を使わなくてもいいような時代がくることを願う程に。
最初に言った通り、運転は下手くそで、教官には毎日怒られる、そんな私。
ストレスで、食べれなくなって、寝れなくなった。
それでも頑張った。
『怖いです、嫌です、不安です、難しい』
そんなことを電話で言ってしまった。
「大丈夫だよ」
相手は穏やかだけど力強くそう答えてくれた。
それで、頑張れた。
そして、後で気づいた。
知り合いである電話の相手。
その人の故郷は東北だった。
一番怖いと、嫌だと、不安だと、難しいと。
思っているのはその人なのに。
どうして、私はあんなことを言ってしまったのか。
後悔した。
大丈夫なんかじゃないのに、そんな言葉を使わせて。
酷いことをしてしまった。
けれど、その人の大丈夫は重みがあって、心に響くものだった。
それは傷を負った人にしか出せないものなんだと知った。
ごめんなさい、ありがとう。
いつかその傷に寄り添えればと思う、そんな日々だった。