雷雨’s blog

現実を書こう!

底辺のクズだからこそ示すことができる光

幼い頃から死にたいと思っていた。
死にたい人間なのだと。
それが自分のアイデンティティなんだと理解した。
と同時に、それをなんとか隠そうとしてきた。
本当の自分が死にたい人間であるならば、
それを隠した先にあるのは、
自分が作り上げた別の人間。
でも、隠そうとしたのは誰。
隠すことで生きようとしてきたのは誰。
未だに答えは出ない。
そんな自分だからさ、
クズなんだって分かってる。
空っぽなんだと。
何もできない人間だからさ、
早く消えたいって思ってる。
存在したくなかった。
だから、目立たないようにしてきたし、目立つことも嫌いだった。
誰か殺してくれと願ってきた。
でもさ、
そんな自分だからこそ示すことができると思ってる。
底辺のクズだからこそ示すことができる光。
今、自分を責めてる人がいるならさ、
私よりはマシだから安心して。
この世に完全な善人はいないけど、
あなたは私より善人で真面目に生きてる。
頑張りすぎて疲れてるだけなんだよ。
今、私と同じように自分のことをクズだと思って、底辺にいることに悩んでいる人がいるならさ、
伝えたい。
あなたは1人じゃないと。
底辺にいることの何が悪い?
負けることの何が悪い?
私たちは世間のはみ出しもの。
だからこそ、旗を振るのだ。
それは白旗なんかじゃない。
私たちだけの旗だ。
誰かは言うだろう。
「負け犬」「クズ」「底辺」だと。
それでいて何が悪い?
私たちは雨に打たれてきた。
それは私たちだけに許された特権だ。
雨こそが私たちの生きる場所だ。
死にたいと思っていい。
ここには死にたい奴らしか集まらないのだから。
泣いてもいい。
ここには涙が水溜まりになってる。
世間のはみ出しものが世間と闘う時だ。
世間は私たちを殺しにかかる。
だから、笑って『ざまぁみろ、生きてるぞ』って言ってやるんだ。
雨が降り止むことはない。
それが私たちの居場所だから。
それが私たちの幸せだから。