幼い頃から死にたいと思っていた。
死にたい人間なのだと。
それが自分のアイデンティティなんだと理解した。
と同時に、それをなんとか隠そうとしてきた。
本当の自分が死にたい人間であるならば、
それを隠した先にあるのは、
自分が作り上げた別の人間。
でも、隠そうとしたのは誰。
隠すことで生きようとしてきたのは誰。
未だに答えは出ない。
そんな自分だからさ、
クズなんだって分かってる。
空っぽなんだと。
何もできない人間だからさ、
早く消えたいって思ってる。
存在したくなかった。
だから、目立たないようにしてきたし、目立つことも嫌いだった。
誰か殺してくれと願ってきた。
でもさ、
そんな自分だからこそ示すことができると思ってる。
底辺のクズだからこそ示すことができる光。
今、自分を責めてる人がいるならさ、
私よりはマシだから安心して。
この世に完全な善人はいないけど、
あなたは私より善人で真面目に生きてる。
頑張りすぎて疲れてるだけなんだよ。
今、私と同じように自分のことをクズだと思って、底辺にいることに悩んでいる人がいるならさ、
伝えたい。
あなたは1人じゃないと。
底辺にいることの何が悪い?
負けることの何が悪い?
私たちは世間のはみ出しもの。
だからこそ、旗を振るのだ。
それは白旗なんかじゃない。
私たちだけの旗だ。
誰かは言うだろう。
「負け犬」「クズ」「底辺」だと。
それでいて何が悪い?
私たちは雨に打たれてきた。
それは私たちだけに許された特権だ。
雨こそが私たちの生きる場所だ。
死にたいと思っていい。
ここには死にたい奴らしか集まらないのだから。
泣いてもいい。
ここには涙が水溜まりになってる。
世間のはみ出しものが世間と闘う時だ。
世間は私たちを殺しにかかる。
だから、笑って『ざまぁみろ、生きてるぞ』って言ってやるんだ。
雨が降り止むことはない。
それが私たちの居場所だから。
それが私たちの幸せだから。