雷雨’s blog

現実を書こう!

恐山

第二回目は青森県の恐山です。
では、どうぞ↓
恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。外輪山は釜臥山、大尽山、小尽山、北 国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。「恐山」という名称の単独峰はない。火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれ る風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。

寺名は菩提寺、本坊はむつ市田名部にある曹洞宗円通寺である。本尊は地蔵菩薩

恐山は、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られる。下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行 ぐ」と言い伝えられている。

恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が並び、イタコの口寄 せが行われる。なお恐山で口寄せが行われたのは戦後になってからであり、恐山にイタコは常住していない。また恐山菩提 寺はイタコについて全く関与していない。

高野山比叡山と並んで「日本三大霊山」と宣伝されるが、あくまでも恐山のみが自称しているにすぎない。

恐山は火山であり、境内には温泉が湧いている。4つの湯小屋は無料(参拝料は必要)であるほか、宿坊にも温泉施設があ る。

恐山温泉」も参照

なお、地理でいう恐山山地とは、下北半島のまさかり部分にある山地全体を指すので、いわゆる霊場恐山とは区別される。

開山期間毎年5月1日〜10月31日 開門時間午前6時〜午後6時 入山料500円(2010年現在) 大祭典毎年7月20日〜24日 秋祭典毎年10月第2週の三連休

伝承によれば、開山は貞観4年(862年)、開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である円仁(慈覚大師)であるという。

文化7年(1810年)再刊の『奥州南部宇曽利山釜臥山菩提寺地蔵大士略縁起』によれば、円仁が唐に留学中、「汝、国に帰 り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。 地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ」という夢告をうけた。円仁はすぐ に帰国し、夢で告げられた霊山を探し歩いた。苦労の末、恐山にたどり着いたといわれる [1] 。

その中に地獄をあらわすものが108つあり、全て夢と符合するので、円仁は6尺3寸の地蔵大士(地蔵菩薩)を彫り、本尊と して安置したとされている。

恐山には史料に残された噴火記録はなく、地質調査の結果からも、最後の噴火は1万年以上前と見られている。しかし、カル デラ内の一部には水蒸気や火山性ガスの噴出が盛んで、気象庁が2007年12月1日より開始した「噴火災害軽減のための噴火 警報及び噴火予報」の対象になっている。ただし、現在のところ、噴火警戒レベルを導入した16火山には含まれていない。

温泉沈殿物として金の異常濃集体が発見されており、2007年、日本の地質百選に選定された(「恐山の金鉱床」)。地質調 査によると、その金の含有量は鉱石1トン当たり平均約400グラム、場所によっては6500グラムにも達し、世界でも最高の品 質を誇る金の鉱脈である。ただし、この一帯は国定公園に指定されている上、土壌には高濃度の砒素が含まれていて、ここ の地面を掘れば作業者の生命にも危険が及ぶため、商業目的の金の採掘は不可能とされている。

恐山の「地獄」付近には火山性ガス(亜硫酸ガス)が充満していて特有の硫黄臭が鼻を突く。注意が必要である。

むつ市街より恐山に至る恐山街道(青森県道4号)には途中、整備された湧き水冷 水(ひやみず)がある。

明治〜昭和初期にかけての恐山一帯には硫黄鉱山があり、現在境内となっている宇曽利湖北岸の大部分を鉱区が占めてい た。寺の東側に下北鉱山区(現在温泉がある場所)、地蔵山西側に宇曽利鉱区、東側に八滝鉱山があり、県道周辺に飯場遊郭などがあった。当初は三井鉱山によって採掘が行われ、後に王子製紙の所有となっていた。戦後廃坑となったが、現在 でも地蔵山周辺に遺構を見ることが出来る。

東日本旅客鉄道JR東日本大湊線下北駅から下北交通バス恐山線で40-43分(下記の開山期間のみ運行。1日4往復。ただ し恐山大祭期間中と秋詣り期間中は増発あり)。以前は下北交通大畑線(旧国鉄大畑線)で市街地の田名部駅まで行くこと ができたが、下北交通の鉄道事業からの撤退により大畑線は廃止され、市街地を外れた下北駅からバスを利用しなければな らなくなった。 むつ市田名部より恐山街道(青森県道4号)。山門前に約300台駐車可能の駐車場有り。無料。