雷雨’s blog

現実を書こう!

SAWシリーズを観て。

※ネタバレあり


やっぱり、ジョン・クレイマーの頃が一番良かった。
そして、1から3まででしたっけ?
ゲームの制作者だけあって、本質を理解していた。
それ以降は、ただただ胸くそ悪いだけだった。
欲望みたいな。
最初からグロい映画ではあるから胸くそ悪かったりはしたが、それが増す。
ジョン・クレイマーは生き残るチャンスを与えたが、それが無かったり、確率が極めて低かったり。
不平等だなと思いました。
まぁ、それなりに参加者は悪い人だったりするんですけどね。
だけど、なんか悪い人に対しても生死を左右することは人間はやってはダメだと改めて思いました。
人間がやる時点でそれは欠陥があり、100%正しいとは言えないからです。
それは法律も然り。
この映画は結構深いです。
ジョンが言っていた「自分は殺していない」は正しいとは言えません。
実際に法律でも殺人関与としていろいろ引っ掛かるでしょう。
じゃあ、法律が悪いのか。
これが難しいところでして。
安楽死に繋がっていきますね。
日本ではまだ安楽死については殺人になってしまいます。
じゃあ、ジョンが行ったのは安楽死なのか。
それもまた違う。
ジョンが行っているのは更正ですね。
そして、生きる価値を自分で見出だすこと。
うん、深い。
確かに実際にこんなことがあれば正しい行いとは言い切れません。
ですが、映画だからこそ、残酷な表現で伝えているのだと思います。
実際に表現が過激な方が頭に残りますもんね。
ただ、ジョンも他に方法があったのではないかと悔やんでなりません。
ジョンは自らの子どもを失い、癌を患って、死にきれずこうなってしまいました。
確かに少し自分勝手な人とも捉えられます。
死にきれなかったことを自分にはこういう定めがあると勝手に解釈してゲームを行うようになったので、なんとも…。
ジャンヌ・ダルクがお告げを聞いたみたいな話ですよね。
そして、子どもを失ってしまって、その原因になった者を被験者にするあたり。
ただの復讐なのではないかと残念に思います。
また、ゲームと称するところもいただけないです。
人の命をなんだと思っているんだ!って感じです。
また、神にでもなったつもりか!と言いたいですね。
本当に人として更正を願うだけなら、正々堂々と姿を見せて、対峙するというのが必要だった気がします。
もしかしたら、ジョンも人間なので心のどこかで快楽的なものを感じていたのかもしれませんね。
癌になったからというのも言い訳のように聞こえたりしますし。
自分は苦しんだ。
だから、お前も苦しめみたいなね。
そして、癌だからこそ失うものはもう何もない。
なんでもやってしまえ!みたいなものを感じます。
まぁ、それ以上に冒頭でも書いた通り、ジョン以降はもっと悪人的なんですけどね。
だから、まだジョンがマシに見えるのかもしれません。
奥様も可哀想でしたね。
最期が奇しくも…。
そして、ジョンの願いを叶えてあげただけなのにみたいな。
また、犯人も嫌な奴でしたから、悲しくなります。
天国で家族三人仲良く暮らしていたらいいなと切に願います。