雷雨’s blog

現実を書こう!

#311


【3.11に捧ぐ】

皆様、こんにちは。
雷雨と申します。
全く雰囲気の違った記事になりますが、最後まで読んでくだされば幸いです。


さて、6年前の今日。
東日本大震災が起こった日です。
多くの方々が亡くなり、多くの方が涙と共に遺されました。
地震津波が奪った命の数ははかり知れません。
命だけではなく彼らは故郷まで奪いました。
残したものは悲しみの爪跡です。
そんな中、原発までもが私達に牙を剥き、全てを汚していきました。
私は被災者でも被爆者でもありません。
ですが、曾祖父は広島の原爆被爆者でした。
どんな人だったのか、私は会ったことがありませんし、本人から原爆の話を聞いたこともありません。
それでも、私が生まれ、今ここにいられるのは曾祖父のおかげでもあると思っています。
学生時代、原爆について学ぶ機会があり、映像学習で被爆者のお声を聞かせていただきました。
「遺された者は死ぬ勇気と生きる勇気のどちらかをもつことができる。私達は生きる勇気をもった」という言葉がとても印象的でした。
自殺、つまり死ぬ勇気をもつことを選ぶ方もいたのでしょう。
今と変わらずいじめもあったと思います。
身体、精神の痛み。
私には味わったことがないので分かりません。
そんな私でも何か出来ることはないか、そう思い今書いています。
私には自分の想いを伝えることしか出来ません。
原爆と東日本大震災が同じとは言えません。
それでも、昔の方が生きる勇気をもったように生きる勇気をもってください。
今が辛くてもいつかは幸せが訪れます。
未来の子どもたちの為にも諦めないでください。
私は曾祖父に感謝しています。
いつか現れる感謝の念を抱く希望たちを消さないでください。
皆ここにいます。


最後に。
秋山仁教授はこう言いました。


地べたをはいつくばって、

死にもの狂いで一生懸命やっていると、


たまに、まぐれですばらしい

数学の定理を見つけられる。


森羅万象、不可解な謎が、ある角度から見た瞬間、

そのからくりの全容が見えることがあるわけです。


まあ、そんな歓喜の一瞬というのは、

人生のうち数えるほどしかないのですが。

でも、その「たまに」を求めて、頑張っている。


私、雷雨が伝えたいことは山程ありますが、少しだけ。
生まれてきてくれてありがとう。
生きててくれてありがとう。
乗り越えてくれてありがとう。
優しさと思い出をありがとう。
出逢ってくれてありがとう。
最後までありがとう。


貴方に沈丁花を贈る。