【最後に彼はそう言った】
私は彷徨っている。
彼の背中をいつも追い掛けている。
『先生っ!』
3月24日。
「どした?」
この日、彼は亡くなった。
『あの、この前のプリントで...』
「ああ、それなら明日ね」
それから、私はこの日を繰り返している。
彼の背中を見送るのは何度目だろうか。
『・・・逝かないで』
どうしても止められなかった。
何度も何度も彼を死なせた。
「雷雨、・・・先生が」
私はこの日から抜け出せずにいる。
それは私の意思なのかもしれない。
「・・・交通事故で亡くなったって」
私は何度も繰り返す。
彼を救えるまで。
『・・・先生っ!』
でも、それは逆だったのかもしれない。
「ん?どした?」
彼を引き留めているのは私の方で。
『あの・・・』
これは私の我儘なのかもしれない。
「・・・急いでるから、またね」
『好きです!』
これは私の願いなのかもしれない。
「・・・ありがとう・・・」
救いを求めていたのは私の方で、きっと彼は気づいていたんだろう。
「その気持ちは僕よりももっと大切な人のためにとっておいてね」
私の全てに。
『・・・はい、ありがとうございました』
その笑顔だけで私は救われるということに。
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【Remothered:Tormented Fathers 考察】
●主人公はセレステに関係する人物。
(本当の親や育ての親、または孤児院の関係者)なので、セレステを探しに来た。
それなら、セレステやフェルトン教授の情報も持っていたということに説明がつく。
●フェルトン教授は性同一性障害または二重人格。
自分の中にジェニファーという女性がいたが、それを父親に無理矢理抑えられ、男として育てられた。
この文章から言うと、性同一性障害の方が可能性が高い。
そして、男として結婚はしたものの、心は女なので勿論子どもはできず、養女としてセレステを引き取る。
が、性同一性障害など心身の病気を治すために服用していた薬の副作用(この場合、治験者や被験者として実験されていたため、副作用と呼ぶのは相応しくない)で、心身の病気が悪化。
自分自身を抑えられなくなり、セレステを自分がなれなかったジェニファーとして認識。
ジェニファーになれなかったフェルトンはジェニファーになるため(ジェニファーは二人いらないみたいな)、もしくは憎しみから、セレステを襲うようになり、自分の良心が残っているうちにセレステを逃がした。
が、セレステは戻ってきてしまい・・・という文章があるが、これはおかしくなってしまったフェルトンの戯れ言。
セレステが戻ってきたというのは、自分の妻であるアリアンナを幻覚として見間違えたと思われる。
なので、セレステが誘惑してきたのではなく、アリアンナが病で床に伏せ、苦しみから夫を呼んだだけ。
だが、既に狂っていたフェルトンは彼女を殺してしまう。
●アリアンナは多分、この家で唯一の正常者だったと思われる。
が、病に倒れ、夫に殺される。
遺体が途中で消えてしまったのはジェニファーの人格になってしまった夫が、ジェニファーは二人いらないのよ!精神でどこかへと棄てられたため。
●グロリアは看護師ではなく患者。
これは、半分合っていて、半分間違っている。
確かに看護師ではないが、患者というよりフェルトンと同じ治験者または被験者。
看護師としてあの家にいたのは、製薬会社または薬の製造者の関係者だったため、フェルトンの経過観察を行う必要があったから。
フェルトンには催眠術で自分が看護師(仲間、味方)だと思い込ませた。
もしかしたら、アリアンナをセレステと誤認させたのもグロリアかもしれない。
しかし、グロリアもその製造元に裏切られ、というより、元々ただ利用されただけのように言っていたが、蛾を媒体にして薬の効果が出てしまったと考えられる。
副作用としてフェルトンと同じく攻撃的になってしまった。
●シスターはグロリアと同じく製造元の関係者。
主人公の行動に悪事が発覚するのを恐れ、後から家へと現れた。
フェルトンはシスターが自分を狂わせた者だと分かっているので、最初、主人公と共に逃げた。
●ジェニファーは先に述べた通り、もう一人のフェルトン。いや、本当のフェルトンと言った方が正しい気がする。
●セレステは生きている。
そういうエンドだったために、三部作ということもあるので、きっとセレステを探す物語が今後出ると思われる。
が、主人公が老いても尚見つかっていないことから、亡くなっている気がする。
が、あの家からは逃れているので、どこでどう亡くなったのかはあとの二作品で分かると思う。
あの最後に出てくる鞄の中身に次の探索場所(セレステが向かった先)のヒントとなるものが入っている。
もしかしたら、本当に生きていて...といっても、ラスボス感が半端ない。
もし、ラスボスならば、主人公がセレステを殺すということになるので、老いてから言っていた『彼女は生きている』みたいな言葉には、『私たちの中でね』みたいな意味が込められているのかもしれない。