貴方はもういない。
もう一度貴方に。
*What you wanted*
『今日は大晦日って言うんですよ、教授』
椅子に腰かけるスネイプは新聞から視線を外す。
「それは、君の母国の呼び名かね?」
綺麗に新聞を畳み、傍にあるテーブルに投げ置くと、スネイプは珈琲カップを手に取った。
『ええ。年越し蕎麦を皆で食べたりします』
「年越し蕎麦?」
スネイプは眉に紫波を寄せ、珈琲を一口だけ口に含み、カップをテーブルに戻した。
『普通の蕎麦ですよ。それを年越しで食べるから年越し蕎麦と言います…、何で蕎麦を食べるようになったのかは知りませんが』
「蕎麦は長く伸ばして細く切って作る食べ物、故に“細く長く”ということから「健康長寿」「家運長命」などの縁起をかついで食べるようになったのが起源である、という説が一般的だ」
雷雨はひきつった笑顔でスネイプを見た。
『…よ、よくご存じで』
「当たり前だ」
『でも、大晦日は知らなかった』
「確認しただけだ」
やれやれとスネイプは立ち上がると、キッチンへと姿を消した。
『何やってるんですー?』
何も答えずにスネイプは何かをテーブルへと置く。
『これって!!』
「ああ、君が言っていた年越し蕎麦だ」
黒塗りの箱に綺麗に収められた蕎麦に雷雨は目を輝かせる。
『わざわざ、日本へ?』
「1秒もかからんからな」
テンションが上がった雷雨は思わずスネイプに抱きつき、慌てて離れた。
『おっと、怒らないでくださいね?』
「ああ、今日だけだがな」
笑みを溢す二人を静かに見守るように、雪は降り続けていた。
あれから、時は過ぎ。
雷雨は一人、部屋で佇んでいた。
視線の先には持ち主を失った椅子がひっそりと同じ場所で待っていた。
少しだけ埃を被り、光沢さえも失いつつある。
人差し指でそれを掠め取り、ふっと息で舞うそれらを見つめた。
『…全く…勝手な人…』
ゆっくりと椅子に腰をおろし、背もたれに身を預けると、彼女の身体が少しだけ沈んだ。
座ることを許されなかった場所で、彼女は見ることが出来なかった景色と対面する。
そして、瞼を閉じ、ゆっくりと開いた。
「雷雨」
明かりが戻り、暖かい部屋の中で、名を呼ぶ男が目の前で微笑んでいる。
しかし、呼び声に答えることもなく、瞼を再び閉じ、開く。
先程と同じ、暗く冷たい部屋が視界に広がると、そこに男はいなかった。
『貴方の望んだものは手に入りましたか?教授』
私は望んだものを失ったのかもしれない。