雷雨’s blog

現実を書こう!

ノーフォーク連隊集団失踪事件

1915年8月28日
第一次世界大戦中、連合軍がオスマン帝国の首都イスタンブール占領を目指し、ガリポリ半島に対して上陸作戦を行った。
その上陸作戦において、この事件で失踪してしまうイギリス陸軍ノーフォーク連隊300名近くも進軍していた。
同じ連合軍であるオーストラリア及びニュージランドの部隊は、その日奇妙な光景を目撃していた。

その日は素晴らしい快晴であったが、何故かサル・ベイ丘の第60号丘陵にだけ奇妙な雲の塊が複数漂っていた。
その雲は一箇所に塊一切動かず、丘の上で進軍する兵士達を待っているかのようであった。
イギリス陸軍ノーフォーク連隊はその丘へと進軍し、その謎の雲の中へ入っていった。

進軍を始めて1時間がたったくらいだろうが、丘の上で一切動かなかった雲は、空に流れ消えていった。
雲がはれた向こうにはノーフォーク連隊が展開している筈であった。
ところがそこには誰一人おらず、無人の丘陵地帯だったのである。

ニュージーランド軍は丘の上にかかる雲の全貌を見渡せる位置にいた。
ニュージーランド軍はノーフォーク連隊がその雲に入る光景を確認しており、「彼らは問題の雲のところまで到達すると、ためらうことなくその中へどんどん進み行った」と証言している。
しかし、雲から出てくるはずのノーフォーク連隊は誰一人としていなかったのだという。

実はこのガリポリ半島上陸作戦において連合国軍は、トルコ軍に前進を阻まれ大きな犠牲を出した結果失敗に終わっているのである。
トルコ軍は地形を利用し、巧みに塹壕の掘って強固な防衛線を構築していた。
ノーフォーク連隊は実はこの罠にはまってしまったのである。
しかもノーフォーク連隊、実は志願兵の集まりであり戦場にかけだされるのは初めての新兵だったのである。

実はこの失踪からわずかに生き残った新兵がおり、彼らの証言から真相が明らかになった。
1915年8月12日進軍命令を受けたノーフォーク連隊は、索敵を失敗し自分達がトルコ軍陣地近くを進軍しているとは知らなかった。
そこには巧みな塹壕が張り巡らされており、狙撃兵と両側高地から小銃の集中射撃を浴びほぼ全滅してしまった。

1919年に行われた調査委員会の現地調査の結果、実際にはノーフォーク連隊のうち失踪したとされたのは266人で、うち122名の遺体を当地の集団墓地から発見、残る144名は捕らえられて捕虜収容所に送られたと結論された。

この謎の雲に関しては記述が残されており、1915年8月21日この地域ではめったにでない濃い霧が出たのだという。
それを利用して連合軍がトルコ軍に攻勢をかけたと言う記録がある。

ここで日付が曖昧になっているのが分かるだろう。
実際ノーフォーク連隊が索敵を失敗し全滅したのは8月12日だったのである。
そして濃い霧が出て、それを連合国が利用しトルコを攻撃したのは8月21日である。
ノーフォーク連隊が全滅したのと、霧の中に入ったという報告書がまざり伝わった物は8月28日である。
後にイギリスのテレビ番組やミステリ雑誌で、失踪自体は都市伝説であると言われている。